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になったのです。
なので以前は、
「実家は出雲です。
正しくは出雲市の隣の斐川町なんですけどね。
出雲地方っていうか。まあ、出雲。です」
といった説明をもごもごとしていました。
それが今は、
「実家は出雲です」
ですむのですごい楽!
と、
言うたびに思っています。
その出雲のことで面白かった本を読了しました。
『出雲と大和 ─古代国家の原像をたずねて』
村井康彦 岩波新書 2013/1 (写真↓)
「古事記」「日本書紀」「出雲国風土記」はもちろんのこと、
「魏志倭人伝」なども読み解いて、
古代出雲の姿を語りみせてくれています。
それはこれまでに読んだ古代出雲を描いたどの本よりも軽快で闊達で、
それはちょっと言い過ぎちゃう?
そこまで言っていいん?
と思うようなところもあったけれど、
出雲で生まれ育った私にしてみれば、
それはそれで楽しい驚きであり、
そうだとしたら面白いなぁ!と思えることでした。
そもそも私は、
「邪馬台国」には興味がないのです。
そんな私の一番の収穫は、
岐比佐都美(きひさつみ)。
出雲国造の祖。
の記述でした。
それは仏経山の山頂に磐座があったという話で、
「仏経山(ぶっきょうざん)」と言いながら、
「神名火山(かんなびやま)」とも呼んでいる山の、
古代出雲における存在の大きさを教えてくれるものでした。
仏経山=神名火山。
は、私にとっても大きな存在の山なのです。
その山を見て育った私の実家へ、
カメ係が行くというので、
写真を撮って送ってとお願いしました。
それがこの写真(↓)
山陰本線の直江駅のホームから見える仏経山。
は、記憶している姿より小さく見えます。
も少し近づいて撮ってくれたのがこちら(↓)
この山を登ると、
出雲大社があるあたりまで一望できます。
私は中学生か高校生の頃、
父と二人で登った記憶があるけど、曖昧。
この山の上に見えた月や星座を、
ただぼんやりと眺めていた私がいました。
懐かしい。
ただ、懐かしいだけの記憶です。
が、
この山の頂に磐座があったと知り、
ものすごく納得しています。
そしてなぜだか安堵もしています。
不思議な感覚です。
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